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ほうろく屋を陰で支える、もう一人の職人、和香子

ほうろく屋

先代 喜八郎を支え続けた妻 たけ子の二代目 和香子。

先代 大嶽製油所は大量生産時代のあおりを受け安価な食用油に押され厳しい生活が続いたと言う。

子どもたちを育てるため、リヤカーで瓶を集め売り生活の足しにしたと聞いた。

ほうろく屋も後を継ぎ、もちろん最初から収入はない。

原料 菜種栽培からのスタート。

農業機械も手に入れれず、和香子と2人で大きな面積を手作業で管理そして収穫。
半端ない重労働。

当初の工房は、コンクリートブロックの壁に雨漏り、すきま風吹き込むトイレもないバラックだった。
台風などの大雨には一昼夜、原料菜種に雨が掛からないようにバケツやシートで養生。

菜種油が少しずつでき始めると、僕は外で試食販売、和香子はコミュニティー内に揚げ物屋『和郷(なごみ)』をオープンし、試食販売の日々。

コミュニティーも順調運営の中、突然の地主様の不幸により場所移動を告げられた。

『せっかくここまで築いたのに。』

移動も全て手作業で行うしかなかった。

拠点を峠山(今の峠山村子供農園倶楽部)へ移す。

和香子は、搾油の手伝いと生活のため食堂へ働き始めた。

そして今、ほうろく屋へ戻り小さな揚げ物工房で一粒一粒丁寧に愛情込めて『ほうろくの米だま』を楽しそうにつくる。

先代妻 たけ子の次にほうろく菜種油に触れている。

たけ子の想いを感じている。

揚げ物屋を含め11年間、毎日ほうろく菜種油で食事をつくる。

ほうろく菜種油の味、香り、色、泡立ち、揚げ加減など全てを知り尽くしている。

そんなパートナーが作り上げる『ほうろくの米だま』

今、皆様より嬉しい感想がたくさん届く。

僕は思い立ったら直ぐ行動。子どものようにわがままで好き勝手。
苦労をかけ過ぎて申し訳ないが、彼女が工房で真摯に作業する姿を見ると自分の励みと若手への伝統の継承を必ずやらねばならぬ。

ほうろくの米だまは、揚げ玉日本一 ほうろく屋

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